沖縄の昔から伝わる童話・伝説・言い伝え ・・・ 直筆の昔ばなし等をチョッと怖く・・・ チョッとおもしろく書きました。今の沖縄、昔の琉球をお楽しみください。

2月に啼く蝉、新都心の怪事件

2月に啼く蝉、新都心の怪事件

メッセージの1つ、”2月に啼く蝉”

どういうことなのか、理解できません。
しかし・・・
今もなお、沖縄の都心に密かに語り継がれ、実際にその蝉の鳴き声が今年も聞こえたと言います。

平成22年。2月の中旬、なぜか2月にしては 陽気の良いぽかぽかした昼下がりの那覇市天久にあるおもろ町と言う都心。

新都心と呼ばれ、日本銀行や開発金融公庫・沖縄最大のショッピングセンター、また、観光客が集まる免税ショップモール・デューティーフリーショップ(DFS)など 沖縄の中枢ともいえる企業が軒を連ねています。・・・そんな眠らない沖縄の都心に起こる奇妙な現象・・

冬なのに気温が23度を越して・・・汗ばむほどの陽気が・・・

そんな都心で 今年もその事件が起こりました。

その事件は、決して新聞やテレビと言ったメディアに取り上げられる事はない・・・感じる人にしか感じない・・・第6感以上の神経を持った特殊な人にしか聞こえる事がないと言います。

本題に・・・入ります。

沖縄には多くの死者を出した第二次世界大戦が歴史の中に刻まれています。
その戦争の傷跡は今もなお、いろんな形で現代によみがえり・・・現代に生きる人々に感動を与えつつも・・・逆に何かを訴えているかのようにメッセージも残します。

その1つがこの怪奇現象

この那覇市天久という場所は 昭和15年、アメリカが上陸して沖縄のありとあらゆる物を焼き尽くしながら 南下した時に、沖縄の中心地に陣取った 元軍用施設のひとつでした。

昔は天久軍用地、天久外人住宅とも呼ばれ、その後、数年ほどの年月で沖縄に返還されました。

その時の名前が”天久解放地”  

これがその天久解放地の写真。画像の説明

すごく沖縄の都心にしては広大な土地で、軍人さんファミリー向けの住宅街や学校・ショッピングモール等もあったと聞いています。

でもなぜか・・・
      その天久解放地の噂話の中には良い話がないんです。

昔から・・・

すいません 。また塩を舐めます。

数年前のある真夏の暑い日差しが降り注ぐ中、私は沖縄県那覇市安謝にあるマリーナにいました。

そこから船に乗り、沖縄本島沖合のチービシという無人島に行き潮干狩りを楽しむことにしたんです。大潮で潮が引き、海岸線が一気に大陸に・・・サザエを取ったり、沖縄特産の島ナマコを取ったり、蛸を取ったり・・・楽しい時間を過ごし夕方には港に戻ってきました。

そこには数人の漁師さんが座り込み、オリオンビールを飲みながら井戸端会議をしています。
その井戸端会議の中に 私の兄がいたのでついでに私も同席して見たのが ・・・事の始まり・・・。

いろんな海の話・船の話・塩の話やお客さんの話し・・・その後に天気の話 等が出てきたんですが、冬の気温の話題が急に出始め、それと同時に新都心の話題の話が出てきたんです。

それが今回書き込む  ”新都心の怪

その時の話の内容がこれです。

A氏・・クトゥシヌニングァチン、マタナチャンディヤー!
    (今年の2月も泣いたってな!)

B氏・・ハア?ヌーヨー?(はあ?何が?)

A氏・・オモロヌハナシテー、イヤーヤチチェーネーンバーナー?
    (おもろの話さあーお前聞いてないんか?)

B氏・・イミンクジン ワカランムン!(意味わからん!)

C氏・・ヤシガ ワッターエーカンチャーガン、チチャンディ 
    イイタンド!
    (でも俺の親戚も聞いたってよ!)

C氏・・ヤッパシ アマヌ クムイグァー ルヤサヤー
    (やっぱりあそこの渓谷見たいだね。)
    
B氏・・クムイグァ?マーヌヨ?ヌーヌナチャンディ?
    (渓谷?どこの話しか?何が泣いたって?)

A氏・・イヤーヤ ジュンニシランバー?フリティルウサニ?
    ウンネールーウムサンハナシ シランバー
    (お前ホントに知らんのか?馬鹿じゃないか?こんな面白
    い話も知らないって。)

A氏・・オモロヌ 消防ヌ トゥナイヌ コーグサー
    ミートル  トゥクマシ マタン シミグァーヌ
    ナチャンディヌハナシテェー。シランバー?
    (おもろの消防所の隣にある草ボウボウしてる所でまた、
    蝉が泣いたって話しさー  聞いたことないの?)

B氏・・ヌーンチ ニングァチ ウトォーティ シミグァ
    ヌ ナチュンナー?イッター チガテェーウラニ??
    (何で2月に蝉が鳴くかー?
    お前達おかしいんじゃないか??)

C氏・・ヤシガ ジュンニ ナチュンデェドォー! 
    シカマスヨヤー!
    (でも本当になくってよ!驚くよな!)

A氏・・アンスグトゥヨヤー! ウトゥルサヨー!
    (だっからよ!怖いよね!)

B氏・・ヌーヌハナシヨ?
    (何の話?)

C氏・・オモロヌ 消防ヌ タンカーカイ デージマギー 
    ジーヌアシ ワカインナー?
   (おもろ消防の前の方に大きい空き地があるのわかるか?)
    
    ウマウトォーティ イフウナ ワジャヌ 
    ウキトォーンディヌ ハナシテェ! 
    デージナトーンディヌ ハナシドォ!。
   (そこで変な事が連続して起きてるって!デージみた
    いよ!。)

B氏・・ヌーガ ヌーナトォーンバー?? 
    ウムサンハナシナ??・・・マサカ 
    ウトゥルサムンヌハナシナー??
    (何が起きてるばー??面白い話か??・・・もしかして
    怖い話じゃないよな?)

C氏・・アテーメー マジムンヌハナシテー。ヤシガ 
    役場ガン チャーンナラン チ イチョーンデェヌ 
    ハナシドォ。
    (もちろん幽霊話さー。でも那覇市がもお手上げ
     ってよ。)

B氏・・マサカヤ―!チャンニール ハナシナ?
    (マジ!どんな話か?)

A氏・・ウマヌ コーグサヌ メーカイ ヤ-グァ 
    タティンデェ スルムンル ヤレー セークンチャー ガ
    杭グァ タティーン チ ウチクメーカラ 
    チャッサン イッティン トーリーン チ 
    イイッサー!・・・ 
    チャッサハマティン 杭グァ タタンディ 
    イイタンド。・・・アンスグトゥ アマンカイ 
    ヤ-グァ ヤ タティラランド。アマノ ジーヤ 
    ンーチャ アランムン・・・「チュヌ 
    フニルヤンドー アマヌジーヤ・・・」
    (その草むらにビルを建てるって、工事会社が杭打ったら
    何メートル打ち込んでも杭が倒れるってよ!・・・
    絶対に杭が立たないって言ってたよ。・・・やっぱり
    あそこにはビル建てたら駄目だよ。そこの地盤は
    土じゃないのに・・・「人骨だよあそこの
    地盤は・・・」)

B氏・・チュヌフニ? ハア? ヌーヌイミガ???
    (人骨?はあ?どういう意味???)

C氏・・消防ヌ タンカー ヌ クムイグァ ヌ 
    コーグサーメートール ジーヤ、 イクサヌ 
    ウワタル バスネー ヒラジー ル ヤタンドー。
    (消防署の向かいの凹んでる草むらは、戦後は
    他の場所と同じ高さで平坦だったんだよ。)

A氏・・消防ヌ メーヤ イクサシ ケーマーチャル チュヌ 
    チャッサン ウミラッティヌ ウンバーテェー
    ナマヤティン シンカンチャー イクタイガシ 
    フリウクサーニ フニトゥヤー ソーンドー。
    (消防の前は、戦争で死んだ人たちがたくさん
    埋められてるんだってよ。
    今でも男の人たちが何人かで掘り起こして遺骨収集
    しているさー。)

沖縄の言葉で書きましたが、理解できましたか?

要するに、その場所は戦前は谷間になっていて川が流れていた静かな原生林だったんです。 が・・

それが戦中にアメリカ軍が読谷村から上陸して南下し、那覇に到達。その時、那覇の町では数百・数千もの沖縄の方が戦争の犠牲になりました。
その時の死体の処理に困ったアメリカ軍が重機を使い、おびただしい数の死体をショベルカー等でその、天久の渓谷に捨てて埋めていったという・・・知られざる事実が沖縄の住民の中で今なお、語り続いていたんです。

鉄の暴風。戦争の悲劇が今、那覇の新都心で明かされつつ・・・

先にも書きましたが、今年平成22年 2月にその都心で起きた心霊現象・・・・・それが ”60数年前に止まったままの夏の日” ”2月に啼く蝉、新都心の怪事件”の始まり。でした。

私が実際にこの話を聞き、現場に足を運んだのは、数年前の事です。

昔の沖縄のイメージはその新都心には無く、最新の機能を備えた快適な生活ができる都心のイメージです。

その都心の中心地に メインプレイスと呼ばれる大きなショッピングモールがあり、美術館、日銀、地元の大手新聞社、沖縄開発金融公庫、・・・etc

表通りの見た目は綺麗なんですが・・1歩裏通りに入ると入り組んだ路地が多く、入ってきた元の道を間違えてしまう方もいるようです。

大きなグラウンドが4~5個程も入るような雑木林で・・・新都心の現場

新都心の現場

私が愛車のホンダマグナ250に乗り、その現場を訪れたのはH20年2月の終わり、沖縄の寒緋桜も散り、暖かい午後の日が燦々と照りつけている・・・初夏と間違えるようなポカポカする温かみを感じる昼下がりでした。空は晴天・・・しかし、

その目の前に広がる渓谷は 数分前に見た、都心とは まるで違う様な・・・タイムスリップでもしたような・・・空気の流れが止まったような・・・生温かい湿気のようなものを感じます。

周りには茶色の手すりが張り巡らされ、中には入れないようになっていますが、所々に切れ目があり、その切れ目から下の方へと続く階段があります。

しばらくその階段の前に立ち、遠くに見えるうっそうと茂った草むらを見ていると 風の動きとは違う不自然な動きが・・・・・

しばらくじっと見つめていました。

まだ、少し不自然な動きがあります。・・いやな予感が・・

私の足が自然に後ずさりし始めた時でした。
その100mほど先の草むらの中から、数人の男性が、大きな白い袋を背中に担いで出てきたんです。

帽子に雨靴、首にタオルを巻いて両手には何やら小さなスコップと道具入れのようなもの。

その男たちは私の方に向け、ゆっくり・・まっすぐ歩いてきます。

先頭を歩いている方が、うつむき加減の顔を上げた時、私と視線が遭い、不思議そうな眼で 私の方を見つめています。

そう、この人たちが、ここで埋められた人々の遺骨収集しているボランティアの方々です。

聞いてみました。そこの中はどうなっているのか・・・

新都心の現場

毎日のようにこの場所に来て、全く身元も分からない遺骨を1日に数十柱、拾うんだそうです。

これまでにもたぶん数百柱の遺骨を収集したが、実際にはその倍以上の遺骨がたぶん埋まっているだろうねって・・・

まだ、想像以上の数の遺骨が埋まっているそうです。

戦後、アメリカ軍がこの地を使用した後、数年後に沖縄に返還したのです。が、それ以外の基地はいまだ未返還の土地がほとんどだということは誰もが知っている事ですが、この事実を考えて見るとアメリカさんがすぐに変換した理由も何となくわかるような気がします。

要するにアメリカさんはこの那覇市天久にあった川の中に沢山の死体を捨て、  結局、そこで起きた怪奇現象に悩まされた揚句、
わずか数年で沖縄1等地の天久地区を手放した。
という事なんです。

さあ これからが恐怖と鳥肌物の本番ですよ!!

2010,今年最初の”蝉の声”それは2月の3週目、春の陽気の日

その日、私はたまたま非番で、午後から那覇の空き屋の改装工事が目的で 新都心沿い国道330号線(通称・バイパス)を那覇に向けてバイクを走らせていました。

もちろん、この怪事件の真相も確認するべく、空き屋に向かう前に その場所に向かっていたんです。

2がつのポカポカ陽気の日に鳥肌が立つ事を知っていて・・・

午後の2時過ぎ、消防署の前を通り抜け 現場に着くと小学生の子供たちが数人で集団下校していて、その横を減速しながら通り過ぎて行ったのを覚えています。

目の前に広がる大きな異空間 ・・・ 前回見たときよりだいぶ雑草が高く伸びていてまるで緑のじゅうたんの様・・・・・

バイクから降りてヘルメットを取り、ボサボサの髪の毛に指を入れながら渓谷全体を見渡してみました。

真向かい・・直線にして200mほどの樹海の向こう側にS急便の那覇営業所が見え、その向こうに新都心のざわつきが感じられますが、 その都会のざわめきが全然聞こえないんです。

不思議です。都会の騒音が聞こえません。

まるで、ヤンバルのきび畑の中に立って 草木の音だけを聞いている感じなんです。

しばらく、バイクに座って携帯を見ながら数分間の間、時間が経ってのを感じ、  深呼吸をした後、 意を決してその樹海に入ろうと手すりの切れ間の階段部分に向け、歩き始めたその時です。

聞こえました。・・・確かに・・・蝉の鳴き声です。

ニイニイ蝉の鳴き声でした。

「聞き違いかな?」と思い 手すりに近づき、その場に座り込んでもう一度、聞き耳を立てて見ました。・・目も瞑って・・

少し、遠くで人がざわざわと ざわめく様な気配を感じました。

目を開けて周りを見渡しましたが、 誰も見えません。

また、目を瞑ってみました。

・・・・・何分たったでしょうか? ・・・空気の流れには何も感じませんでした。 が 

やはり、目の前の樹海にすごく違和感を感じます。

少し躊躇しましたが、意を決してもう一度 樹海の中に入ろうとしたその時です。後ろから大きな犬の鳴き声がして その後、「役所の方?。」 と 犬を散歩させていた60代の女性が 話しかけてきました。

私は役所の者でないことをその女性に告げると、「この中には入らない方がいいよ。」

と言われましたが、どうしても真相が知りたかったので その女性に「何でここだけ囲いがされて家がないんですか?」

女性 ・・・ 「ここは那覇市の物だから民間のおうちは立てられ       ないみたいよ。」

私 ・・・ 「公園でも作るんですかね?」

女性 ・・・ 「わからんけど、この奥の方で戦争で亡くなった
       人の遺骨がたくさんあるみたいよ。」

私 ・・・ 「遺骨?」

女性 ・・・ 「兄さん、このあたりの方ね?」

私 ・・・ 「自分は寄宮ですけど。」

女性 ・・・ 「兄さん那覇の方だのにここの話知らないわけ?」

私 ・・・ 「一応、なんかの泣き声がするって話は聞いたこと
      ありますけど 本当ですか?」

女性 ・・・ 「蝉の鳴き声が今の時期でも時々、聞こえるよ。
      この辺の人たちは みんな聞いているはずよ。」

私 ・・・ 「本当に?」

女性 ・・・ 「ここに相当死体埋めたみたいよ。」
       「だからここにはおうちがないんだよ。」
       「本当はここにも慰霊碑立てて平和記念公園
       見たいにしないといけないはすだけどね。」

私 ・・・ 「やっぱり本当なんだ!」

女性 ・・・ 「今日みたいに天気が良かったら夕方くらいに
       蝉の声が聞こえるはずよ。」

私 ・・・ 「誰でも聞こえるの?」
      「私でも聞こえますかね?」

女性 ・・・ 「聞こえないっていう方もいるけど、私はよく
       聞くよ。」
      「別に聞こえてもどうもないよ。」
      「蝉が悪さするわけでもないのに。」

私 ・・・ 「そうですよね。」

女性 ・・・ 「でもこの辺ではどこでも戦争のときは死体が
       ゴロゴロしていたって云うからどこでも
       聞こえるはすだけどね。」 

私 ・・・ 「   」

その後、この女性はそのまま現場を立ち去り、私もしばらく草むらの向こうを見つめていましたが、これ以上ここにいても仕方ないんで
草むらに向かい、一礼し、帰宅しました。

本当に戦争が引き起こす結果には凄惨な悲劇と苦しい思い出しか残らないと言う事を痛感します。

この戦争で亡くなった方々の御冥福を祈り、このページの書き込みを終わります。

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